
वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ
すべての現象は無常です たゆまず歩み成し遂げてください
ダンマチャッカ(法輪をまわす)
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今日は「法輪が転ずる日」です。この日、ブッダは初めて法を説き、法の車輪をまわし始めました。これは、彼の最初の法話であり、悟りを開いた偉大なる存在が、さまざまな思想に迷い、真理を見失っていた人々に真のダンマの光を示した瞬間です。苦しみの輪(輪廻)に絡め取られた人々の前で法輪を転じたため、この説法は「ダンマチャッカパヴァッタナ(法輪を転じること)」と呼ばれます。彼は、道徳律(シーラ)、集中(サマーディ)、智慧(パンニャ)という真のダンマの本質を明らかにしました。
私たちが盲目的な信念に囚われると、ダンマとは関係のないものをダンマと見なしてしまい、本当のダンマの姿が目に入らなくなります。真理の本質を理解しないまま、表面的なものを本質と勘違いし、それに執着してしまうのです。こうして、自分をダンマの実践者だと思い込んでいても、道徳も、心の集中も、それを支える智慧もない状態になってしまいます。この無知の中で、私たちは苦しみの流転(ローカチャッカ)に押し潰され続けるのです。このような輪から抜け出す道を示すことができるのは、ブッダのような偉大な存在だけです。
ブッダの悟りとは、「苦しみの真理」「苦しみの原因の真理」「苦しみの終滅の真理」「苦しみの終滅に至る道の真理」の四つの聖なる真理を完全に理解し、深く考察し、実践を通じて自ら「ニッバーナ(苦しみからの完全な解放)」を体得したことを意味します。ニッバーナとは、苦しみの原因が完全に取り除かれ、苦しみそのものも存在しない状態です。
しかし、もしこの境地について単に哲学的に考えたり議論したりするだけなら、それは真の幸福にはつながりません。例えば、ラズグラ(インドの甘い菓子)が甘いことを知っているだけでは、口の中に甘さは広がりません。同様に、牛乳が栄養豊富であると理解するだけでは、体が栄養を得ることはありません。知ること、理解することは、幸福への第一歩ですが、それだけで満足し、実践しないなら、それは単なる知的な遊びにすぎません。私たちは、宗教や哲学の教義について議論し、批判し、学び、話し、書くことに人生を費やし、それを人生の成功と錯覚してしまうのです。こうして、知識を蓄え、華麗な言葉で表現することに満足し、それを人生の目的と勘違いするのです。しかし、それはまるで黄金の鎖のような罠であり、その鎖を装飾品と誤解して誇りに思うほどのものなのです。
ダンマの真理を知ること自体は束縛ではありません。それを深く理解することも束縛ではありません。しかし、そこで満足してしまうことこそが最大の束縛となり、そこから抜け出すのが困難になります。だからこそ、ブッダは最初の法話でこう強調しました。「私は、ダンマの本質を知り、理解しただけではない。それを実践し、その結果としてニッバーナの果実を味わい、苦しみからの完全な解放を体験した。私は、四つの聖なる真理について、知識・理解・実践の三つの側面から十二の方法で完全に確信を得た後に、無上の正等覚(生死の迷いを去って、いっさいの真理を正しく平等に悟ること)を成就したのだ」と。
これこそが「ダンマチャッカパヴァッタナ経(転法輪経)」の奥深い秘密です。私たちは、単に真理を知り、理解するだけで満足するのではなく、実際に自らの体験を通じて智慧(経験による智慧・バーヴァナーマヤ・パンニャ)を得ることが重要なのです。では、この「経験による智慧」とは何でしょうか?
智慧には三つの種類があります。第一は「聞いて得た智慧(スッタマヤ・パンニャ)」で、書物を読んだり講話を聞いたりして得た知識です。第二は「考えて得た智慧(チンタマヤ・パンニャ)」で、それを深く考察することによって得た理解です。そして第三が「経験による智慧(バーヴァナーマヤ・パンニャ)」で、自ら実践し、直接体験を通じて得た智慧です。前二者も無意味ではありません。十分に知り、理解しなければ、実践もできません。しかし、実際に苦しみを終滅させるには、第三の智慧が不可欠です。それによって、心の奥底に潜む欲望、嫌悪、無知、嫉妬、傲慢、恐怖、苦悩などの汚れが浄化されるのです。この状態に到達しない限り、苦しみからの解放はありません。
理論としての知識は、パーリ語で「パリヤッティ・ダンマ(Pariyatti Dhamma)」と呼ばれています。このパリヤッティ・ダンマも、ある程度までは有益です。なぜなら、この理論的な教えを通して、私たちは実践的なダンマである「パティパッティ・ダンマ(Paṭipatti Dhamma)」へと進む動機づけを得るからです。しかし、実際に私たちを導いてくれるのは、このパティパッティ・ダンマ、つまりダンマの実践的な側面だけです。これを通して初めて、「パティヴェーダ・ダンマ(悟りに達したダンマ)」、すなわち最終目標であるニッバーナ、苦しみの完全な消滅に至ることができるのです。パティパッティ・ダンマがなければ、パリヤッティ・ダンマとパティヴェーダ・ダンマのつながりは成り立ちません。たとえ理論的な知識であるパリヤッティ・ダンマにどれほど精通していても、それだけではパティヴェーダ・ダンマには至らず、苦しみの完全な解放を得ることもできません。ですから、実践であるパティパッティ・ダンマこそが、目標に到達するために不可欠なつなぎの役割を果たすのです。
では、このパティパッティ・ダンマとは何でしょうか?それは「八つの正しい道」です。正しい見識、正しい思考、正しい言葉、正しい行動、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい集中から成るこの道は、道徳律、集中、智慧の三つの柱によって構成されています。実践なしにこの道を歩むことはできません。何千回説明し、理解し、知ったとしても、実際に歩みを進めなければ、心は浄化されず、苦しみは取り除かれません。
ブッダは「知識と実践を兼ね備えた者(ヴィッジャーチャラナサンパンノ)」と称されました。彼は理論に精通していただけでなく、自ら実践し、悟りに到達したのです。そして、この実践こそが、彼を「悟りを開いた者(サンマ・サンブッダ)」としたのです。
2500年の歴史を持つこの教えを守り、実践し、伝えてきた師たちに、私たちは深い敬意と感謝を捧げます。ブッダの教えを正しく実践し、ダンマを日々の生活の一部とすることこそが、師たちへの真の敬意であり、供養なのです。すべての人々が、この尊い道を歩み、真の幸福と恩恵を得られますように!


