
वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ
Vayadhammā saṅkhārā, appamādena sampādetha
すべての現象は無常です たゆまず歩み成就しなさい
ヴィパッサナーの歴史

行きなさい 比丘たちよ 多くの人の 恩恵と幸せのために
世界への慈愛とともに 神々と人々の 恩恵と幸せのために
二人一緒に同じ方向へ行ってはならない
比丘たちよ 初め 半ば 終わりに
恩恵となるダンマを教えなさい
実践と理論の両方を教えなさい
完全で純粋な 聖なる生き方を明らかにしなさい
わずかに目に塵がある者は ダンマを聞かなければ道を見失う
その者はダンマを理解するだろう
サンユッタニカーヤ IV (I).5
古代におけるヴィパッサナーの広まり
ヴィパッサナーの流布
ブッダは、深い慈愛と思いやりをもって、この教えがいろんな方向へ広がるように、完全に苦しみから解放された最初の60人の弟子(アラハン)に向けて、多くの人のために、幸せのために、勇気づける言葉とともに促しました。ブッダ自身もまた、深い慈愛と思いやりをもって、北インドの全域で、ダンマ、ヴィパッサナーを広めて、多くの人を惹きつけました。
ビンビサーラ王、スッドーダナ王、プラセーナジタ王たちもまた、ダンマを実践して非常に大きな恩恵を受け、それぞれの王国で熱心にブッダの教えの普及を支援しました。しかし、王の支援だけではなく、民衆にヴィパッサナーが広がったのは技法そのものの恩恵によるものでした。
アショーカ王
ブッダが亡くなってから、およそ二世紀後アショーカ王はカリンガ(現在のインド・オリッサ州)との戦争で、自らが引き起こした殺戮と悲惨な様子に恐怖して、剣による征服をやめて、ブッダの説かれた道を歩むことを決意しました。ヴィパッサナーを実践した結果、「残虐なアショーカ王」から「ダンマのアショーカ王」へと生まれ変わり、インド国内外にヴィパッサナーを広めるうえで、重要な役割を果たしました。
ダンマを伝えるため、王国各地に仏塔(チェティヤ)を建立し、さらに慈しみの心から、囚人たちにも恩恵が行き渡るように刑務所内でヴィパッサナーを教え始めました。
アショーカ王の後援のもと、完全に苦しみから解放されたアラハンのビクたちは、北インドから9つの異なる地域へ派遣されて、多くの人にダンマを広めました。彼らは「ダンマ使節(ダンマ・ドゥータ)」と呼ばれ、自らの内なる不純を取り除き、解放を得た実践者として、慈愛と思いやりに満ちた態度で人びとを解放の道へ導きました。
アショーカ王は、現在のシリアやエジプトにもビクや教師を派遣し、次世代の人びとがさらに世界中へダンマを広めていけるように道を切り開きました。その後、カニシカ王が王位を継いで、中央アジアや中国へもビクを送り出しました。ダンマは、西暦4世紀初頭に朝鮮半島へ伝わり、続いて日本にも広まっていきました。
インド国内では、タッキシラー、ナーランダー、ヴィクカマシラーなどのダンマ大学が栄えて、多くの学僧や修行者が学びを深め、中国からも修行者たちが訪れるようになりました。やがてダンマは東南アジア全域に広がり、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、インドネシアの多くの人がヴィパッサナーを実践するようになりました。
さらにチベットにもシャーンティラクシタ、パドマサンバヴァ、アティシャ、カマラシーラといった師によって、ダンマが伝えられていきました。
ミャンマーにおけるダンマの伝承と保全
数世紀の時を経るうちに、アショーカ王によって広められた教えは、いくつかの国では次第に純粋な形を保てなくなっていきました。しかし、ミャンマーにおいては、ブッダの言葉とヴィパッサナー瞑想の技法が世代から世代へと受け継がれ、その純粋性が守られてきました。少なくとも一部の実践者のあいだでは、理論と実践が師から弟子へと正しく伝承され続けてきたのです。
この豊かな伝統のもと、ミャンマーの政府高官であったサヤジ・ウ・バ・キン氏は、ヴィパッサナーの技法を学び、深い慈愛と思いやりの心をもって多くの生徒にこの教えを伝えました。その中の一人が、インド系の裕福な実業家であったS.N.ゴエンカ氏でした。ゴエンカ氏は14年間にわたりこの技法をしっかりと学び、揺るぎない基盤を築いたのち、1969年、サヤジ・ウ・バ・キン氏によってヴィパッサナー瞑想の主要教師として任命されます。
サヤジ・ウ・バ・キン氏には、ヴィパッサナー瞑想の純粋な技法をインドへ再び伝えたいとの強い願いがありました。しばしばこう語っていたといいます。
「ミャンマーはインドに大きな恩がある。それは、ダンマという宝がインドからもたらされたからだ。今日、この宝はインドで失われてしまったが、まさに今こそ、最も必要とされている。かつて優れたパーラミー(徳)を培ったインドの多くの人は、このヴィパッサナーの宝を喜んで受け入れてくれるだろう」
この切なる願いは、1969年、ゴエンカ氏がインドにいる病気の母親と家族のもとへ帰国したときに、初めてインドにてヴィパッサナーコースを開催したことで、ついに実現することとなりました。