top of page
banner.png

वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ

すべてのものは無常です 精進し成就させてください

ヴィパッサナーの歴史

history_edited_edited_edited_edited.jpg

 行きなさい 比丘たちよ  多くの人びとの恩恵と幸福のために 

世界への慈悲から 神々と人々の利益と幸福のために 二人一緒に同じ方向に行ってはならない

比丘たちよ 初め 中間 終わりにおいて利益のあるダンマ(自然の法)を教えなさい

その精神と文字の両方を教えなさい 

完全で純粋な聖なる生き方を明らかにしなさい

わずかに目に塵を持つ者たちがいて ダンマを聞かなければ道を見失うだろう 

彼らはダンマを理解するだろう
サンユッタニカーヤ IV (I).5

古代におけるヴィパッサナーの広まり

​​​​ヴィパッサナーの流布
 

 ブッダは、最初の完全解脱した弟子(アラハン)60人たちに向けて、愛情深い慈悲をもって多くの人々のために、幸福のために、いろんな方向へ広がるように、勇気付ける言葉で促しました。ブッダ自身もまた、慈悲深く、北インド全域でダンマを広め、多くの人々を引きつけました。

 ビンビサーラ王、スッドーダナ王、プラセーナジタ王などの王たちもまた、ダンマを実践し非常に大きな恩恵を受け、それぞれの王国でブッダの教えの普及を熱心に支援しました。しかし、ヴィパッサナーが民衆に広がったのは、この王の支援だけではなく、技法そのものの効果によるものでした。
 

アショーカ王

 ブッダが入滅してからおよそ二世紀後、アショーカ王はカリンガ(現在のインド・オリッサ州)との戦争で、自らが引き起こした殺戮と悲惨さに恐怖し、剣による征服をやめブッダの説かれた道を歩むことを決意しました。ヴィパッサナーを実践した結果、「残虐なアショーカ王」は「ダンマのアショーカ王」へと生まれ変わり、インド国内外にヴィパッサナーを広めるうえで、重要な役割を果たしました。

 彼はダンマを伝えるため、王国各地に仏塔(チェティヤ)を建立し、さらに慈しみの心から囚人たちにも恩恵が行き渡るよう、刑務所内でヴィパッサナーを教え始めました。

 アショーカ王の後援のもと、完全に解脱したアラハンの比丘たちは、北インドから9つの異なる地域へと派遣され、多くの人々にダンマを広めました。彼らは「ダンマ使節(ダンマ・ドゥータ)」と呼ばれ、自らの内なる不純を取り除き、解放を得た実践者として、愛と慈しみに満ちた態度で人々を解放の道へと導きました。

 アショーカ王は、現在のシリアやエジプトにも教師たちを派遣し、次世代がさらに世界中へダンマを広めていくための道を切り開きました。その後、カニシカ王が王位を継ぎ、中央アジアや中国に教師を送り出します。そこからダンマは、西暦4世紀初頭に朝鮮半島へ伝わり、続いて日本にも広まっていきました。

 インド国内では、タッキシラー、ナーランダー、ヴィクカマシラーなどのダンマ大学が栄え、多くの学僧や修行者が学びを深め、中国からも学者たちが訪れるようになりました。やがてダンマは東南アジア全域にも広がり、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、インドネシアの多くの人々がヴィパッサナーを実践するようになりました。

 さらにチベットには、シャーンティラクシタ、パドマサンバヴァ、アティシャ、カマラシーラといった師たちの奉仕によって、ダンマが伝えられていきました。

ミャンマーにおけるダンマの伝承と保全

 数世紀の時を経るうちに、アショーカ王によって広められた教えは、いくつかの国では次第に純粋な形を保てなくなっていきました。しかし、ミャンマーにおいては、ブッダの言葉とヴィパッサナー瞑想の技法が世代から世代へと受け継がれ、その純粋性が守られてきました。少なくとも一部の実践者のあいだでは、理論と実践が師から弟子へと正しく伝承され続けてきたのです。

 この豊かな伝統のもと、ミャンマーの政府高官であったサヤジ・ウ・バ・キン氏は、ヴィパッサナーの技法を学び、深い愛と慈悲の心をもって多くの生徒たちにこの教えを伝えました。その中の一人が、インド系の裕福な実業家であったS.N.ゴエンカ氏でした。ゴエンカ氏は14年間にわたりこの技法をしっかりと学び、揺るぎない基盤を築いたのち、1969年、サヤジ・ウ・バ・キン氏よりヴィパッサナー瞑想の主要教師として任命されます。

サヤジ・ウ・バ・キン氏には、ヴィパッサナー瞑想の純粋な技法をインドへと再び伝えるという強い願いがありました。彼はしばしばこう語っていたといいます。

  「ミャンマーはインドに大きな恩がある。それは、ダンマという宝がインドからもたらされたからだ。今日、この宝はインドで失われてしまったが、まさに今こそ、最も必要とされている。かつて優れたパラーミー(徳)を培ったインドの多くの人々が、このヴィパッサナーの宝を喜んで受け入れてくれるだろう。」

その最も切なる願いは、1969年、ゴエンカ氏が病気の母親と家族のもとへ帰国し、インドで初めてヴィパッサナーコースを開催したことで、ついに実現することとなりました。

bottom of page