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वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ
「すべてのものは無常です。精進し成就させてください。」

心を律する方法

Remembering S N Goenka
Discourses by S N Goenka
Life of  S N Goenka-2

以下は、1998年にマハーラーシュトラ州ナシックのラーマバーイ・アンベードカル女子高等学校で、主任指導者(Principal Teacher)であるS.N.ゴエンカ師が行った説法(法話)の内容です。

心を鍛えるための多様な方法
 

 インドには非常に豊かな精神的伝統があり、古代から多くの哲学や霊的実践が生まれ、確立され、やがて衰退しては消えていきました。これらの実践の中には、ある言葉をただひたすら繰り返すという、非常にシンプルで古くから広く行われている瞑想法もあります。どのような単語でもよく、頭の中でそれを繰り返し唱えることで心を一点に集中させるのです。これは、子どもが母親の子守唄を聞きながら落ち着いて眠りにつくように、言葉の繰り返しが心を落ち着かせる働きを持つのです。
 

 古代インドの聖者たちは、人々が信仰を寄せる神や女神、あるいは尊敬する聖者の名などを唱えるよう勧めました。意味のない言葉を使うことはせず、深い信仰を支えに心の集中を図ったのです。こうした「言葉を繰り返す瞑想法」が、最終的な解放に導くと説く聖者もいました。
 

 また、ある古い実践法では、何か対象物を一定時間見つめた後に目を閉じる、再び目を開けて対象を見てまた閉じる、と繰り返します。これを続けると、目を閉じたときにもその対象がはっきりとイメージとして浮かんでくるようになるのです。ここでも、人々が信仰を置く神や尊崇する人物の像を使い、目を閉じたときに内面でその姿を思い描くようにします。
 

 さらに別の方法として、鐘やゴングなどを大きく鳴らし、その音が空間の中で徐々に消えていく様子に集中するという実践もあります。音が消えたら再び鐘を鳴らし、その消えゆく音を追うように注意を向けるのです。こうした方法も含め、古くからさまざまな「心を集中させる手段」が教えられてきました。しかし、心を一点に集中するだけで満足するのではなく、その先にある「心の浄化」というステップまで至ることが非常に重要とされています。

最終的な目標 ― 不純物(煩悩)からの解放


 インドのもう一つの古代の実践法であるヴィパッサナー瞑想は、単に心を集中させたり思考を止めたりするだけを目的としていません。その最終目的は、心の中からあらゆる不純物(煩悩)を取り除き、解放されることにあります。煩悩が生まれる根源、つまり心の最深部に直接アプローチしてこそ、それらを溶かして自由になることが可能なのです。そのために選ばれた手段が、誰にでも備わっている自然な呼吸です。
 

 呼吸に意識を向けることで、心を落ち着かせると同時に煩悩が生じる深いレベルにまで到達できます。実践を続けるうちに「内面で何が起こっているのか」をより明確に理解できるようになるでしょう。呼吸の観察は、一見とてもシンプルですが、実は奥深い作業です。
 

 もし皆さんの中で10日間のヴィパッサナーコースに参加される方がいれば、最初のうちに教えられる呼吸観察(アーナパーナ)のシンプルさにもかかわらず、いかに心が落ち着きなく動き回るかを実感するでしょう。呼吸を一呼吸、二呼吸と数える間もなく、心はあっという間に他のことを考え始めてしまいます。気づくと呼吸から離れており、また呼吸へ意識を戻す。こうしたプロセスをひたすら繰り返すことに戸惑い、腹を立てる人もいますが、怒りは心をさらに乱れさせるだけです。今の瞬間に気づいたら、ただ「また心がどこかに飛んでいったな」と受け止めて、穏やかに呼吸観察へ戻ればよいのです。
 

 この作業を続けるうちに、自分の心が抱えるさまざまな習慣や癖に少しずつ気づき始めます。これこそがヴィパッサナーの大切な目的です。普段は外側ばかりに意識を向けて生きているため、内面の真実を知る機会がほとんどありません。そのままでは、生涯を幻想や勘違いの中で過ごしてしまう恐れすらあります。インドの聖者たちが「外側の真実と内側の真実は本来同じものであり、それを見抜くことこそ師の教えである」と説いているのは、このような理由からです。同時に、「自分自身のことを本当に理解しない限り、妄想の霧は晴れない」という教えもあります。実際に自分自身の内側を観察し、深く体験してこそ、私たちは錯覚や妄想から抜け出せるのです。

気づきを伴った観察

 では、実際にどのような過程を経て煩悩を克服していくのでしょうか。呼吸を観察していると、心がひっきりなしにあちこちへさまよっていることに気づきます。具体的にどこへ飛んでいるのかを一つひとつ挙げるのは困難なほど、心は過去や未来に関する想像でいっぱいになるのです。要するに、心は今という瞬間に留まろうとせず、過ぎ去った過去やまだ来ない未来ばかりを行き来しています。


 しかし、私たちが実際に生きられるのは「今この瞬間」だけです。どんなに財産を投じようとも過ぎ去った時間は取り戻せませんし、未来は「今」がそこに到達する瞬間になってはじめて現実として体験できます。そこで、今を生きる練習として「呼吸の観察」を行うわけです。呼吸は確かに「今、ここ」で起こっている現実そのものです。ところが古い習慣から、心はすぐに過去や未来を思い描いてしまいます。
 

 次に気づくのは、そのとき心に浮かぶ考えや思いです。気持ちが良い・楽しいと感じることには執着(ラガ)を、嫌だと感じることには嫌悪(ドーサ)を抱くというサイクルが、私たちの心を常に乱しています。これが苦悩の根本原因です。
 

 10日間コースに参加して2、3日もすると、心に怒りや嫉妬などの煩悩が生じたとき、呼吸が急に乱れたり荒くなったりする瞬間があると気づくでしょう。そして、煩悩がおさまると呼吸は元の落ち着いたリズムに戻ります。実は、私たちの呼吸は心の状態とこれほど密接に連動していたのです。しかし、この古代の知恵が長らく失われていたために、その重要性にも気づかずに過ごしてきました。

障壁を壊す

 いわゆる「潜在意識」と呼ばれる心の層は、実は非常に活発で意識的です。一方で、説法や読書、思索などで理解できるのは、心の表面にあたるごく小さな領域(パリッタ・チッタ)です。表面の心が落ち着いたとしても、深い層に潜む心が煩悩を生み続けていれば、私たちはその影響から逃れることができません。ここには高い障壁があり、それが煩悩を根本から断ち切るのを妨げています。
 

 古の聖者や賢者たちは、この障壁を壊す具体的な方法を発見しました。深い意識の層で煩悩が生じたとき、その瞬間に身体に生まれる感覚(呼吸の乱れや身体の振動など)をはっきりと捉えられるようにしたのです。もし自分の苦しみを外側の出来事だけに原因を求めていると、いつまでも自分の反応パターンを変えることはできません。たとえば誰かにひどい言葉を投げかけられたら、その人が立ち去った後でも何時間も怒り続ける――これでは、自分自身を苦しめているだけです。
 

 しかし、呼吸や身体感覚を観察できるようになると、煩悩が生じた瞬間に身体と心に何が起こるかを逐一把握でき、そこで冷静さを保つ訓練が可能になります。もしその状況で何かはっきりと対処しなければならない場合でも、怒りや敵意に支配されることなく行動を選択できるのです。自分が動揺していない状態で行う判断は、必ずや自分自身にも相手にも良い結果をもたらすでしょう。

生きる技法


 ダンマ(法)の教えは、平和で幸福な人生を送るための「生きる技法」を伝えるものです。呼吸というシンプルかつ深遠な手がかりを使い、心と身体がどのように影響し合っているかを体験的に理解します。煩悩がどのように起こり、どう増幅して私たちの心を支配し、理性を失わせるのか。そのプロセスをまざまざと観察するのです。そしてヴィパッサナーを通じて自分の内面を深く知り、苦しみから解放される方法を身につけます。
 

 自分の内面の真実を直接体験するにつれ、苦しみは徐々にやわらぎ、激しい不安や恐れも和らいでいきます。人生が穏やかで喜びに満ちたものへと変化していくのです。これはただ説法を聞き、書物を読み、思索するだけでは得られません。実際に自分自身で観察し、練習を重ねることで身につく「生きた知恵」です。そして、それこそがヴィパッサナーであり、インドの古き叡智でもあるのです。


 どうか今日の法話を、単なる知的な娯楽として終わらせないでください。内面を探求し、実際に自分の真実を見つめ、煩悩から自由になる一歩を踏み出してみてください。そうすることで、自分自身はもとより、周囲の人々にもより多くの幸福と平和をもたらすことになるでしょう。

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