
वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ
すべての現象は無常です たゆまず歩み成し遂げてください
サンマ・サマーディ(正しい心の集中)
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心がどのような対象であれ一つに固定されると、瞑想的な没入が生じ、心は静まり、一点に集中した状態になります。しかし、単なる集中状態は、サンマ・サマーディ(正しい心の集中)ではありません。
正しい心の集中であるためには、心が善であり、汚れていないことが必要です。善なる心が一点に集中した状態のみが、煩悩から自由な心の集中と呼ばれるのです。
サマーディ(心の集中)とは、心が平静心にしっかりと確立されている状態を指します。外的な対象に向けられた心は、平静心に到達することはできず、むしろ心の均衡を乱します。だからこそ、善なる心による集中のみが、正しい心の集中なのです。
渇愛に満ちた心は善ではありません。嫌悪に満ちた心も、無知に満ちた心も善ではありません。
渇愛・嫌悪・無知を伴う対象によって心が集中すると、確かに集中状態にはなりますが、その心は均衡を欠き、平静ではありません。そのような集中は正しくも清らかでもなく、幸福をもたらしません。煩悩に依存した集中とは、均衡を失った心の没入にすぎず、有益とは言えないのです。
たとえば、猫がネズミ穴に意識を集中させているとき、その心は完全に集中しています。また、サギが湖畔で魚を狙い、水面に注意を集中させているときも同様です。しかし、これは渇愛に満ちた心の集中であり、正しい心の集中ではありません。そのような集中は、清らかとは言えないのです。
同じように、敵を待ち伏せする兵士や、獣を狙う猟師も、心は完全に集中しています。しかし、その心は嫌悪や暴力に染まっています。したがって、その集中は正しい心の集中ではなく、清らかなものではありません。
また、酩酊物を摂取して昏迷状態にある人は、意識が鈍り、集中しているように見えますが、内外の出来事に気づいていません。LSDなどの化学物質による幻覚への没入も同様です。これらはいずれも心の平静と均衡を失った状態であり、無知に歪められた集中です。このような集中は、瞑想でも正しい心の集中でもありません。
清らかな心の集中を育てるためには、感情的高揚に基づく対象は適切ではありません。それらは心の平静を損ない、渇愛を伴う執着へと導いてしまいます。集中は起こるかもしれませんが、そこには清らかさが欠けています。
集中の対象は、快でも不快でもなく、渇愛や嫌悪を生じさせないものでなければなりません。同時に、心を覚醒させ、迷妄や自己催眠、眠りを誘う状態から守ってくれるものである必要があります。
私たちは、外界の感覚的快楽だけでなく、霊的分野における微細な快楽にも没入しがちです。しかし、それらは心の解放ではなく束縛をもたらします。美しい光や形、心地よい音や香り、身体的な恍惚感なども、微細な次元では渇愛と無知を強めるだけです。これらは心の解放へ導く正しい心の集中ではありません。
正しい修行の中で、そのような体験が現れることもありますが、それらは通過点として手放し、前進し続ける必要があります。執着すれば、再び渇愛に絡め取られ、最終的な心の解放には到達できません。
集中の対象は、特定の宗教に限定されるものであってはなりません。
シーラ(sīla 道徳律)、サマーディ(samādhi 心の集中)、パンニャー(paññā 智慧)、ニッバーナ(nibbāna 心の完全な解放)の道は普遍的であり、すべての人に開かれています。したがって、集中の対象もまた、普遍的で、誰にでも受け入れられるものである必要があります。
その条件を満たす対象として、私たちは自然な出入りの呼吸を選びます。言葉やイメージを伴わない、純粋な呼吸です。
呼吸は長ければ長いまま、短ければ短いまま、深ければ深いまま観察します。呼吸を操作するのではなく、自然な呼吸をそのまま観察します。介入は人工性を生み、真実の観察を妨げてしまいます。
私たちが心の集中を修習するのは、心を微細で鋭くし、心の完全な解放の真理を覆うヴェールを貫くためです。そのためには、自然な対象が最も適しています。
呼吸のリズムは、心の状態と密接に関係しています。怒りや恐れ、欲が強まると呼吸は粗くなり、それらが鎮まると呼吸は自然に微細になります。後にパンニャーを育てる段階に進むためにも、呼吸の観察は大きな助けとなります。
呼吸を観察し続けると、やがて極めて微細になり、時には止まったように感じられることもあります。このように、呼吸は粗から微へと私たちを導き、内側で起こる無数の変化を観察する準備を整えてくれます。
呼吸は、意図的に調整できる一方で、本来は自然に起こる不随意の働きです。既知から未知へ、随意から不随意へと進む橋渡しとして、呼吸は最適な対象なのです。
この道は、究極の真理をこの瞬間に体験的に実現する道です。過去は記憶であり、未来は想像です。体験できるのは、ただ今この瞬間だけです。
したがって、今この瞬間に起こっている現実、すなわち入ってくる呼吸、出ていく呼吸に注意深く気づき続けます。過去の記憶や未来への不安を手放し、現在に確立されることで、渇愛と嫌悪、そして無知から心は解放されていきます。
私たちは、この身体の自然な現象を、ただの観察者として見守ることを学びます。最初は不安定でも、継続することで、確かな歩みへと変わっていきます。
強固な正しい心の集中がなければ、パンニャーの領域には入れません。
自然で清らかな対象である呼吸への気づきを通して、現在の瞬間に生きる力を養いましょう。渇愛・嫌悪・無知から自由な、善なる心の集中を育てましょう。
このように育まれた心の集中は、幸福をもたらします。
サマーディが強まれば、シーラも強まり、シーラと心の集中が強まれば、パンニャーも育ちます。その積み重ねの中に、ニッバーナへの道があります。
まさしく、心の集中の道こそが、幸福の道であり、平和の道であり、完全な心の解放への道なのです。


