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वयधम्मा सङ्खारा, अप्पमादेन सम्पादेथ
すべての現象は無常です たゆまず歩み成し遂げてください

幸せの意味

Remembering S N Goenka
Discourses by S N Goenka
Life of  S N Goenka-2

(2000年1月31日にダボスで開催された世界経済フォーラムにおけるゴエンカ氏の講演「これがすべて、幸せの意味」から要約されたものです。)
 

 このフォーラムに参加している方々は、世界の中でも、きわめて特別な方々がお集まりになっています。この中の多くは、世界でもっとも裕福で、もっとも権力をもち、もっとも大きな業績を成し遂げた人々の中に属しています。世界経済フォーラムに招待されること自体が、各々の同業者の中でも、卓越した地位を得られた証といえます。


 幸せとは、はかない状態です。すぐに消え去り、ある瞬間ここにあっても、次の瞬間にはなくなってしまいます。事業も銀行口座も家族もすべてうまくいっているときには、幸せがあります。しかし、望まないことが起きたときはどうなるでしょうか。まったくあなたの手に負えないことが起こり、その幸せと調和を乱したときは、どうなるのでしょうか。

 世界中のすべての人は、その権力や地位にかかわらず、自分の手には負えず、望ましくない状況が生じることを経験します。それは、あなたが致命的な病気にかかっていると発覚することかもしれません。身近で親しい人の病気や死かもしれません。離婚や、配偶者が自分を裏切っていると知ることかもしれません。人生の成功に依存している人びとにとっては、それは単に何かで失敗することかもしれません。事業での間違った判断、自分の会社が買収され、その結果として職を失うこと、選挙で敗れること、望んでいた昇進を他人が得ること、あるいは、子どもが家出をしたり、反抗して、自分が大切にしてきた価値観をすべて拒絶することかもしれません。どれほど多くの富や名声、権力をもっていたとしても、このような望まぬ出来事や失敗は、たいてい大きな苦しみを生み出します。

次にくる問いは以下の通りです。本来は理想的といえる人生を台なしにする、このような不幸な時期に、どのように対処すればよいのでしょうか。このような時期は、どんなに恵まれた人生でも必ず訪れます。あなたは、平静でバランスのとれた態度でふるまうでしょうか、それとも、自分が味わっている苦しみに対して嫌悪の反応を示すでしょうか。幸せが戻ってくることを切望するでしょうか。さらに、もし、幸せや物事が常に自分の思いどおりに進むことに執着するならば、物事が思いどおりにならないときの苦しみはいっそう大きくなります。実際、それは耐えがたいものです。しばしば、失望や憂うつの状況に対処するためにお酒に頼り、働き続けるために必要な睡眠を得ようとして睡眠薬を服用するようになります。その一方で、外の世界や自分自身に向かって、富や権力や地位のおかげで、この上なく幸せであると語り続けるのです。

 私はビジネス一家に生まれ、若いころから起業家であり事業家でした。私は製糖工場、織物工場、毛布工場を建設し、世界中に事務所をもつ輸出入会社を設立しました。その過程で、多くのお金を稼ぎました。しかし同時に、当時の自分が事業や私生活での出来事に、どのように反応していたかを、いまでもはっきりと覚えています。毎晩、もしその日にビジネスの取引で成功できなかったときには、何がうまくいかなかったのか、次回はどうすべきかを考えながら何時間も眠れずに横になっていました。たとえその日に大きな成功を収めていたとしても、私は横になったまま目を覚まして、その成功を味わっていました。成功を経験してはいても、それは幸せでも心の平和でもありませんでした。私は、平和は幸せと非常に密接に関係していること、そして自分はしばしばそのどちらも持ち合わせていないことに気づきました――たとえ金銭をもち、地域社会のリーダーとしての地位があったとしても、です。

このテーマに関連して、私の好きな詩を思い出します。

楽しくいるのは簡単です
人生が甘い歌のように流れるときは
しかし価値ある人とは
物事がまったくうまくいかないときにでも
微笑むことができる人です

 

私たち一人ひとりが、物事が「まったくうまくいかない」時期にどのように対処するかは、私たちの富や権力や名声にかかわらず、「幸せの意味」の主要な要素となります。
 

 誰もが幸せな人生を送りたいと願うのは、人間の基本的な欲求です。そのためには、真の幸せを体験しなければなりません。お金や権力をもち、感覚的な快楽にふけることで得られるいわゆる幸せは、真の幸せではありません。それは非常にもろく、不安定で、はかないものです。真の幸せ、すなわち持続的で安定した幸せのためには、自分自身の内面深くへ旅をして、心の深い層に蓄積されたすべての不幸を取り除かなければなりません。心の深いところに苦しみがあるかぎり、表面的なレベルで幸せを感じることは無駄な試みとなります。

 
心の深いところにあるこの不幸の蓄積は、怒り、憎しみ、悪意、敵意といった否定的な感情を生み続けるかぎり、増え続けます。自然の法則は、否定的な感情を生じると同時に、不幸が生じるというものです。心の中で否定的な感情を生じるかぎり、幸せや平和を感じることはできません。平和と否定的感情は、光と闇が共存できないのと同じように、共存できません。古代の偉大な超科学者によって開発された体系的かつ科学的な技法があり、それによって心と身体の現象に関する真実を体験的レベルで探求することができます。この技法はヴィパッサナーと呼ばれ、現実を客観的に、ありのままに観察することを意味します。

 

 この技法は、自分自身の身体構造の中で、心と物質の相互作用を感じ理解する力を育てるのに役立ちます。心に何らかの汚れが生じると同時に、身体レベルで二つのことが起こり始めるという自然の基本法則に基づいています。一つは呼吸が通常のリズムを失うことです。心に否定的な感情が生じると、呼吸が荒くなります。これは誰もが体験できる、非常に明白で目に見える現実です。同時に、より微細なレベルでは、体内で生化学的反応が始まります。身体に物理的な感覚を経験するのです。あらゆる汚れは、身体のどこかに何らかの感覚を生じさせます。
 

 これは、実践的な解決法です。普通の人は心の抽象的な汚れ、例えば恐れや怒り、情熱を観察することはできません。しかし、適切な訓練と実践を積むことで、呼吸や感覚を観察することは非常に簡単で、すべての心の汚れと直接関連しています。
 

 呼吸と感覚は2つの点で役立ちます。まず、汚れが心に生じると、呼吸は通常のリズムを失います。これは「何かがうまくいっていない」という警告のように働きます。同様に、身体の感覚も「何かが間違っている」と教えてくれます。これを受け入れて、呼吸や感覚を観察し続けると、その汚れはすぐに消えていくことがわかります。
 

 この心と身体の現象は、コインの表裏のようです。一方の面には、心に浮かぶ思考や感情があり、もう一方の面には、身体の呼吸と感覚があります。すべての思考や感情、意識的または無意識的な心の汚れは、その瞬間の呼吸や感覚に現れます。このように、呼吸や感覚を観察することで、間接的に心の汚れを観察していることになります。問題から逃げるのではなく、現実をありのままに受け入れるのです。そうすると、汚れはその力を失い、かつてのようにあなたを支配することができなくなります。もし継続的に実践すれば、その汚れは最終的に完全に消え去り、あなたは平和で幸せな状態を保つことができます。
 

 このように、自己観察の技法は現実を内外の両面で示してくれます。以前は、私たちは常に外側だけを見て、内面的な真実を見逃していました。人びとはいつも外側に幸せの原因を求め、それを変えようとしてきました。内面的な現実に無知であったため、苦しみの原因は盲目的な反応であることを理解していませんでした。

 この技法を実践すればするほど、ネガティブな感情からより早く解放されることができます。徐々に心は汚れから解放され、純粋になっていきます。純粋な心はいつも愛で満ちて、すべての他者に対して無私の愛を持ちます。すべての他者に対する執着のない愛、他者の過ちや苦しみに対する思いやり、他者の成功や幸せを喜ぶ心、どのような状況にも動じない平静さに満ちています。
 

 この段階に達すると、自分の人生全体のパターンが変わり始めます。もはや言葉や行動で他者の平安や幸せを乱すことは不可能になります。むしろ、バランスのとれた心は自ら平安になるだけでなく、他者も平安に導きます。そのような人の周囲の雰囲気は、平和、調和、そして真の幸せに満ち、周囲の人びとにも影響を与え始めます。

 

 この自分自身の内なる現実を直接体験する、自己観察の技法がヴィパッサナーであり、真に幸せな人生へ導くシンプルで直接的な方法なのです。

 幸せな人生を送るためには、さまざまな要素があります。そのいくつかは、このフォーラムに参加している皆さまに関係しています。もし、望む限りのお金や所有物をもっていたとしても、世界には次の食事が確かでない人びとが何百万といます。その中で、どうやってその豊かさを心から楽しむことができるでしょうか。自分や家族、そして自分に依存する人びとのためにお金を稼ぐこと自体には何も問題はありませんが、同時に社会に還元することも必要です。富は社会から得ているのですから、何かを返さなければなりません。その姿勢は、「自分のために稼いでいるが、同時に他者のためにも稼いでいる」となるべきです。

 また、ビジネスにおける幸せのもう一つの側面は、お金を稼ぐ際に他者を傷つけたり害したりしないことを確実にすることです。これは大きな責任です。他の人びとの平安や幸せを犠牲にして得たお金は、決してあなたに幸せをもたらしません。真の幸せとは、所有物や業績、富や権力ではありません。それは、清らかで平安な心から生まれる内的な状態です。ヴィパッサナーは、誰もがその状態を達成するのを助ける道具なのです。

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