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真のダンマとは何か? Part 2

(1998年にゴエンカ氏がマハーラーシュトラ州ナシックのラムバイ・アンベードカル女子高校で行った三日間の講話シリーズの第一講話の第二部です。第一部は2015年12月25日のニュースレターに掲載されました。この講話はVRIニュースレター第26巻第3号、2016年3月23日に発行されました。)


 誰も苦しみの中で生きたいとは思わないが、無知によって人々は何度も否定的な感情を生み出し、心を乱してしまいます。心が何もせずに彷徨っている時でさえ、何らかの汚れが生じ、それが内なる燃え盛る火に油を注ぐのです。なぜこのようなことが起こるのでしょうか?


 賢者の言葉を聞くだけで行動に移さないのは無意味です。私も儀式を行い、講話を聞くことに多くの年数を費やしました。これらは多少なりとも智慧を目覚めさせる助けにはなりますが、それは一時的なものです。


 例えば、近しい人が亡くなり火葬される時、「ああ、私もいつかはこのように焼かれてしまうのだろう。何も持って行けないのだから、この無意味な世俗の追求には何の価値があるのだろうか。なぜこの『私』や『私のもの』に執着し、プライドを持つのか?」という深い智慧が湧き出る瞬間が訪れます。


 これを「墓地で生まれる智慧(graveyard wisdom)」と呼びますが、それは心の表面に一時的な影響を与えるだけです。火葬場を出た途端に、私たちの『私』や『私のもの』に対する執着が再び支配してしまいます。


また、私自身や何千人もの他の人々の経験からもわかるように、ここに来て単なる知的な分析や理解を求めるだけでは、何も得ることができません。例えば、「ああ、仰ることは本当に正しい。否定的な感情で心を汚してはいけない、それはただ自分を不幸にするだけだ。その代わりに、自分の幸福や他人の幸福に役立つ善意を生み出すべきだ」と考えるかもしれません。しかし、これを行動に移されない限り、効果はなく、また心の古い行動パターンは変わりません。


 時には、バジャン(bhajans、宗教歌)やジャパ(japas、唱え言葉)、その他の宗教的な儀式を行い、心が平安となり、良い心持ちになることがあります。しかし、この感覚も一時的なものです。
 
心のレベル


 古代には、心の表面的なレベルはパリタ・チッタ(parita citta)と呼ばれていました。これは、心の小さな部分を意味します。この部分がポジティブな思考やネガティブな思考を生み出すかどうかはほとんど関係ないことです。なぜなら、このレベルで心に与えるものは、深層の心のレベルに対して、ほとんど、若しくは全く浸透しないからです。それよりも心の内側の部分、より大きな部分、すなわち潜在意識の中では、古い無知と暗いパターンが続いています。


 嫌な体験をすると、即座に嫌悪と否定的な反応が生じ、楽しい体験をすると、即座に渇望と執着の反応が生じます。これが無数の生涯にわたって続いてきた心の性質です。

 あなたは多くの人生があったことを信じないかもしれませんが、この人生の存在は確かに存在していると信じられます。幼少期から思い返すと、心は反応していたことは、誰もが明白に見て取れます。また、人は望まないことが起こるときや、望むことが起こらないときには、必然的に嫌悪と動揺が生じることも理解できます。私たちは、このような状態から抜け出す必要があ流のです。


ヴィノーバシー(Vinobaji) との出会い


 1972年、私がビルマ(現ミャンマー)からインドに戻ってから3年後、マハトマ・ガンジーのセーヴァグラム・アシュラム(Sevagram Ashram)でヴィパッサナー瞑想のキャンプが開かれました。そこの人々から、近くのパワーナー・アシュラム(Pawnar Ashram)に住む聖人ヴィノーバ・バーヴェ(Vinoba Bhave)に会うよう勧められました。彼が近くにいると聞いて嬉しくて、早速会いに行きました。

 私は彼にヴィパッサナー瞑想について話し、これがインドの古代の瞑想技法であることを伝えました。ヴィノーバジは「はい、確かにこれはインドの古代の教えです。リグ・ヴェーダ(Rigveda)にはヴィパッサナーを称賛する言葉がたくさんあります」と言いました。そして彼はリグ・ヴェーダからのヴィパッサナーに関する二行詩を暗唱し、その後書き記したメモを私に送ってくれました。それは次のようなものでした:
「Yo vishwabhi vipassati,  bhuvana. Sam cha passati, sa naha parshadati dvishaha」
Yo vishwabhi vipassati – 世界(vishwa)から顔を背け(abhimukh)ヴィパッサナーを実践する。


 ここで使われている「vishwa」という言葉は、今日の言葉でいう世界を意味しますが、何千年も前には「増え続けるもの」(vishadikaran)を意味していました。例えば、自分の内に否定的な感情が生じるということは、一瞬の出来事ではありません。それは一度生じると、情熱、怒り、恐怖、高慢などの否定的な感情が何時間も内で燃え続け、増え続けます。


 賢明な人はヴィパッサナーの実践を通じて、内に何かが生じた事実を観察します。彼はそれを変えようとせず、ただそのままに認識します。怒りが生じたなら、ただ「怒りが生じた」と認めるだけです。それを無理に追い払おうとしないのです。なぜならば、怒りとは、増え続けるだけになのです。怒りの理由を思い出し、正当化し始めると、それはますます増えていきます。重要なのはただ認識することです。今この瞬間に怒りが生じた・否定的な感情が生じたと完全に気づき、平静心を保ちながら客観的に観察すること、これがヴィパッサナーです。この実践を続けることで、人はすべての否定的な感情を超越します 
- sa naha parshadati dvishaha。否定的な感情は、それが起こった人の心の中だけに留まることができません。


古代の知恵


 インドのこの貴重な古代の実践が、ただ空しいおしゃべりにすぎないまま、その実践が完全に失われたことは何とも不幸なことです。そのため、この古代の土地の完全に悟りを開いた一人であるゴータマ・ブッダが、2600年前にそれを再発見したとき、彼は次のように言いました。

「Pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuṃ udapādi ...」
「これまで聞いたことのないこのダンマによって、私の知恵の目が開かれました」


彼がこれまでにこれを聞いたことがなかったのはなぜでしょうか? 彼の父であるスッダーノ王(King Shuddhodhana)は、当時のすべての経典を教えたはずです。彼はその中でリグ・ヴェーダの二行詩に出会ったはずです。では、なぜ彼はこのような発言をしたのでしょうか? 彼は確かに嘘をついていたわけではありません。 特にヴィパッサナーに関して、実践が失われたことから、それまでの言葉の意味が変わってしまったと述べました。したがって、言葉だけが残り、経験的なレベルで理解されていませんでした。実践がない状態で、言葉の真の意味が変わり、ダンマの在り方が失われます。唯一、マントラだけが残りました。人々には特定のマントラを唱えるように指示され、そうすると、心の動揺が解消されると言われてました。しかし、なぜそうなるのかは説明されませんでした。人々には内側に向かって観察し、平静心を保ちながら、判断しないで、ただ起こることを観察する方法も教えられませんでした。また、現実のありのままに何が起こっているかを観察すると、不純物が徐々に溶解し、消散し、現実が明確になってくることも教えられませんでした。

 この古代のインドの貴重な知識は完全に失われました。再び現れたとき、その後500年の間、その教えをもたらしました。特に中央インドに位置するこのマハーラーシュトラ州は、さらに200年間この実践を続けたため、特に恵まれた地域でした。つまり、700年の間、この地域でヴィパッサナーは活気づいていました。この地域に残る瞑想が行われた多くの洞窟は、この事実の証です。しかし、次第に儀式と儀礼が優先されるようになり、再びダンマは失われました。


 では、ダンマとは何でしょうか? 心を浄化する方法の教えがダンマです。心が浄化されると、本当にダンマの生き方ができるようになります。心が汚されると、肉体や声のレベルでのどんな行動もダンマと合わなくなります。けれども心が浄化されると、心の平和と喜びをもたらす健全でバランスの取れた心から生まれる行動について、何も心配する必要はありません。これは魔法や奇跡で得られるものではありません。結果を得るためには規律を守り、努力する必要があります。

 10日間のヴィパッサナーのコースを受講した後、もしもダンマを理解しすぎてしまい、怒りや他の否定的な感情を経験しなくなると信じているなら、それは自分自身を欺いているだけです。まだ、そのプロセスを始めたばかりなのです。
人は、健全なダンマの生き方を始めようとする努力をすればするほど、徐々にポジティブな変化が生じるでしょう。


刑務所でのダンマ


 この講話で述べられた真のダンマは、誰にでも与えられるものです。刑務所でのヴィパッサナー瞑想キャンプは、国の法律を犯した受刑者たちのために行われています。国の法律を犯した結果、罰を受け、家族や居心地の良い家から離れられています。心はすでに動揺しているのに、さらに「あのやつが私の裁判で証人になり、私を刑務所に送った。だから出所したらまず彼を殺す。その後、私を有罪にした裁判官にも復讐をする。」などの不健全な思考によってさらなる動揺を引き起こします。


 あなたは、怒りや敵意のような思考があなたの心の中に流れ込むと、何が起こるかを観察したことがありますか? ヴィパッサナーを実践すると、これがはっきりと見えます。刑務所でヴィパッサナーを実践すると、受刑者たちは気づきます。「ああ、ネガティブで憎悪に満ちた思考を生み出すと、どれほど動揺するかがわかる! 既に刑務所に入ることで一つの動揺の原因があるのに、今私はもう一つの苦しみの道を作ってしまった。なんて愚かなことだろう! 国の裁判所はすでに私に刑罰を与えています。今度は私が不幸な反応をすることによって、私自身を罰している。私は自分の不健全な思考プロセスを増やし、自分自身をより苦しめているだけです。」


 かつて私たちの国には、犯罪者や他の人々に自己観察のプロセスを教える「ダンマの皇帝」がいました。この教えが人々に変化をもたらすことを知っていたのです。その結果、実際に国の刑務所で変化が始まりました。犯罪者たちは、ヴィパッサナーと出会い、刑務所当局にヴィパッサナーのコースに参加するよう奨励されて幸運だったと言います。彼らがその後に社会に出てから、ダンマの取り組みができたかどうかはわかりません。しかし、この点においては、世の中にいる全ての人々は、実際には囚人と言えます。誰もが自己の汚れや不安や、自分の行動に囚われています。実際、私たちは反応の行動パターンによって囚われています。自分の意志に反する望まない、小さな出来事さえ、嫌悪心を引き起こして、それがさらに不安と動揺を引き起こします。


 この状況の責任は誰にあるのでしょうか? あるいは、この神様やあの神様に祈っても助けてもらえるでしょうか? 自らが困難な状況を作り出して、他の誰かに助けを求めることなどできません。信仰している神や女神、ブラフマや聖者の聖なる力を思い起こし、内側で目覚めさせる努力をすることが必要です。善い心を伸ばすことは、真摯な信仰の印です。
真の道徳的な生活を送ることはダンマの生き方であり、不健全な行動をすることはダンマに反する生き方です。この理解は、清らかな生活を始められるように勇気づけます。自らの幸せのためになります。肉体レベルや声レベルで否定的な行動を起こすことは、まず心の中で不健全な思考を生み出さしているのです。


 人間は社会的な存在です。彼または彼女が健全な生活を送れば、社会に平和と喜びが広がります。健全な行いとは何でしょうか? 殺生、盗み、不倫、誰かを欺くために嘘をつくこと、誰かに対して厳しく話すことや中傷をすること、そしてアルコールや薬物に耽ることを控えることです。また、ヴィパッサナーと出会った後には、なぜ暴力的な行為を行わないのがよいのか理解し始めます。


 ヴィパッサナーは、心を鍛え、健全な生活を送るための手段です。身体が健康でエネルギッシュに保たれるように運動やプラーナヤーマを行う必要があるように、ヴィパッサナーの実践も心を鍛え、心をコントロールし、ダンマの生活に向けて変えていくのに役立ちます。ヴィパッサナーは完全に結果指向であり、実践することで幸せで平和な生活に向かいます。


 今日のダンマ集会に来たすべての人々が、ダンマを深く理解し、その教えに従って生きる努力をすることを願います。皆さんが幸せでありますように 皆さんが解放されますように
 

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